一般的な話になりますが、エンジニアの中には原理主義者よろしく自身の考えを曲げない人が確かにいます。その人の世界で頑張ってもらえればよいのですが原理主義者の中には妥協という言葉をしらないのか、他人のコードや考え方に口出しをする方もいらっしゃいます。たとえば『手続型はダメ。オブジェクト指向はよい』とかですね。彼・彼女が完成されたエンジニアなら口出しも立派なアドバイスとして成立するでしょうが、ある意味究極のセオリーだと私が考えるのは『コードに正解はない』ということです。あるとすれば『こちらの方がより適切かもしれない』ということと『動くコードはやっぱり最強』ということです。あるエンジニアに、その昔私が書いたコードをありがたく手術と称してリファクタリングしてもらいましたがテストをすると重要なエラーチェックが抜けていることに気づきました。質問すると「まだ書いていない」という返事をもらいました。つまりこういうことです。エラーチェックのコードは時として見栄えが悪くなります。まぁ通常処理に加えて異常系の処理を加える関係上仕方がないでしょう。そういうコードから異常系の処理を取り払えば確かに見栄えはよくなります。さて、見栄えは良いが重要な処理が抜けているコードと見栄えは悪いがきちんと処理が入っているコード、あなたはどちらを評価するでしょうか?見栄えを取るという人は将来失業しないように気を付けましょう。
オブジェクト指向に心酔するのは構わないのですが、結論から言いますと残念ながらオブジェクト指向技術は思ったほど役には立ちません。詳しくは連載を通して理解してもらえればよいのですが、非常に残念なことにオブジェクト指向に過剰に心酔する人がいるのも事実です。例えば、この記事です。
staticおじさん達に伝えたい、手続き指向とオブジェクト指向の再利用の考え方の違いについて 経験のあるエンジニアならこの記事が眉唾だと理解できるのですが経験の浅いエンジニアなら真に受けてしまうでしょう。少し技術的な点を突っ込んでおきます。記事中
アセンブリやCOBOLのような言語では、オブジェクト指向言語で一般的なカプセル化という考え方がきわめて弱いということがあります。変数は静的なグローバル変数が中心であり、とありますが、アセンブリ言語でもローカル変数はあります。またいわゆるメンバ変数もシミュレートできます。もし仮にアセンブリでローカル変数がなかったりメンバ変数をシミュレートできないとすればJavaやC++のコードはどうやって実行されると考えているのでしょうか?OSはどんなふうに記述されていると考えているのでしょうか?JavaやC++はコンパイラを通して一旦機械語に変換されます。アセンブリとはその機械語に一対一に対応します。また、そもそも論としてアセンブリとCOBOLを同じテーブルに並べるところにもの凄い違和感を感じます。もしあなたが違和感を感じられないのならオブジェクト指向を勉強する前に他に勉強することがあるということになります。
さてこの方の約3年後の他の記事を見てみましょう。
開発チームにアーキテクトがいないなと感じてしまうような、残念なコードスメルの例 引用しますと、
最後に、最近になって気づいた自分の間違えについて書いておかなくてはなりませんね。以前であればこうした設計上の問題は日本のSI業界の構造が問題なのであるという話をしていたかもしれません(^_^;)が、ここで書いたような話は多少フィクションが入っているとはいえ、実際私がSI業界以外の今の会社で体験したことに基づいていると告白しなくてはなりません。言語の特性から、Javaで開発していると、こういった設計上の問題が起きやすいということがある可能性もありますが、こういった話はSIer以外でも、どこの国の開発チームでもあるのだなということですね。この中にある
Javaで開発していると、こういった設計上の問題が起きやすいということがある可能性もありますこの感覚は実はオブジェクト指向症候群から脱する第一歩になります。多くの生き残っているエンジニアは大なり小なりこういう感覚を端緒とし、次に”Javaはダメだ○○は良い”となり、最後には”オブジェクト指向がダメなんだ”となります。もちろんですが私も20年程前にこういう感覚に襲われたことがあります。
まとめますと、オブジェクト指向症候群にかかると間違った知識をまき散らします。さらに病気から抜け出すと後でそれを修正しなければならないという二度手間が発生するわけです。できれば早く抜け出した方が本人の為でもありますし業界のためでもあります。
と長くなったのと月末でいろいろ忙しいので、今週はこれにて終了です。次回は、メソッドと関数についてもう少し突っ込んで話したいと思います。